鯉をかいに

 庭に池を作った武彦おじさんが、鯉を飼いたいというので、ペットショップにでも行くのかと思ったら、そういうところで買ったら高いといって、知り合いに譲り受けるためとかで栃木までに行ってしまった。武彦おじさんは車が運転できないから、雅子おばさんが運転して行ったらしいのだが、行ったきり帰ってくる気配がない。三、四年前に隣の家の犬が逃げ出して結局帰ってこなかったことがあったけど、武彦おじさんも雅子おばさんも犬ではないのだから、帰ってこないということもないだろう。きっとどこかで道草食ってるに違いないが、それにしても帰りが遅い。

 実を言うと、武彦おじさんは鯉をどうやって東京に持ち帰るか考えてなかったのだ。自分の腕の長さほどもある鯉を容れるものなど持っていなかったし、それを栃木の知り合いが貸してくれるわけでもない。それに、仮にそんな大きな容器があったとして、それを車で運ぶことなどできるだろうか。車が道を曲がるたびに容器の中の水が大きく波打ち、三度道を曲がろうものなら鯉がシートに踊り出てしまうだろう。武彦おじさんだけならまだしも、雅子おばさんがいるところでそんなことができるはずはない。武彦おじさんは雅子おばさんに頭があがらないのだ。

 それで、結局、栃木から帰れなくなってしまった。武彦おじさんは、知人の知人に水族館に勤めている人がいるということで、その人に大きな魚の搬入の仕方を電話で聞いたらしいのだが、その人が言うところにもやっぱり車で運ばなければならないらしかった。雅子おばさんは雅子おばさんで、栃木があまりにも住みやすかったのか、もう帰りたくないと言い出す始末だった。

 二人のいない間、武彦おじさんの作った池には蛙が住み着くようになり、とくに夜などは大合唱が聞こえるようになった。近隣の人は迷惑しているのかと思っていたら、それがそうでもないらしく、蛙が蚊を食べてくれるものだから、むしろありがたがっているくらいだった。三、四年前にいなくなった犬は、いまもまだ帰ってこない。

赤点の経験

 底抜けに明るい立花さんの背後には、数式の書かれた黒板があって、その端っこに描かれてあるドラえもんだかの落書きは、クラスの誰かが描いたものなのだろうけど、大木先生はそのことをとくに追求しないし、とくに注目するほどのものではなかった。クラスのみんなの視線を一挙に受けて、立花さんは緊張しているらしいが、そもそも彼女がどうして黒板の前に立っているのか、覚えている者は誰もいない。立花さんが今日からこのクラスの一員になる転校生であったなら、こういう状況も納得がいくものだが、立花さんは転校生などではない。いや、誰もが立花さんの立場になって考えてみれば、あるいはこの状況も納得がいくものなのだが、このクラスにそのような団結力はない。大木先生が生徒の一人と不倫しているなんて、そんな噂も流れたことはない。

 立花さんは数式の答えを解くために黒板の前に立ったのだが、彼女は数式の答えがわからなかった。だから、そのことを伝えようとして、それでつい大木先生との不倫を打ち明けてしまったのである。大木先生とは二年生のときからそういう関係にあるが、大木先生には奥さんもお子さんもいるから不倫なのだ、と。

 しかし、その告白がクラスのみんなにとって、何になるというのだ。クラス委員長の根本くんの両親はお父さんの不倫が原因で離婚してしまった。とはいえ、根本くんはそのことを当の昔に乗り越えてしまっているのだ。いまさら、立花さんと大木先生が不倫しているなんて知らされたところで、彼にはなんの感慨も湧いてこないだろう。そして、根本くんの想いは、クラス中に伝染するのだ。

 ドラえもんの落書きを描いたのは、大森さんの隣の席の小林くんだった。別に意味はないのに、ドラえもんを描いてしまうのが彼の癖だ。誰かに描き方を教わったわけではないのに、みんな同じようなドラえもんが描けるけれど、彼のドラえもんもそんなドラえもんだ。彼は数学で二度赤点を経験している。

 立花さんの背後の数式を大森さんはノートに写していたけれど、彼女はこの数式の解法を前の学校ですでに習っていた。彼女は四ヶ月前に県外の学校から転校してきたので、立花さんのいまの状況をなんとなくだが、理解できる。だからだろうか、そのためやけに小林くんの描いたドラえもんの顔が気にさわった。ドラえもんの目はもう少し大きいはずだ。いや、配置がそもそもおかしいのか。

昼下がりまで

 ついこの間、午後の紅茶を飲んでいるときに発見したのだけど、中山さんのところの家の塀はブロック塀に見えて実は発泡スチロールで出来ているのだ。ハリボテとはこういうことを言うのだろうと、妙に感心して缶を揺らしたら、もう午後の紅茶は残っていなかった。実はまだ午前中なのだけど、ミルクティーだから許してほしい。中山さんの家の塀が発泡スチロールで出来ているということは、それに隣り合っているわたしの家の塀も発泡スチロール出来ているということなのだが、それは言い方の問題だ。わたしの家の塀が発泡スチロールで出来ていると告白するのは大変だが、中山さんの家の塀がそうだと喧伝するのは簡単なのである。

 中山さんとはここに家を建てたときに一度か二度話をしただけで、あれから十五年経ってもそれ以上の会話はない。たしか中山さんには二人の娘がいて、わたしが会った時はまだ3歳とかそこらだったから、いまはもう高校生だとか大学生だとかになっていることだろう。いや、あるいはもう働いているのかもしれない。わたしの働いている会社に中山という新人社員が入ったけれど、彼女はひょっとして、中山さんの娘なのかもしれない。だとすれば、わたしは中山と家の塀の秘密を共有していることになる。

 午後の紅茶を飲んでしまったことがいけなかったのか、わたしは中山のことが気になって仕方がなくなってしまった。中山の顔を思い出そうとするが、それはいいところまではいくのだが、掴みかけたところでぼやけてしまう。中山さんの家の塀は発泡スチロールだから、中山はあんなに八方美人になってしまったのか。

 いや、そんなおやじギャグめいたことで解決するような話ではない。これは、戦争に発展しかねない話なのだから。午後の紅茶紅茶花伝のように、わたしと中山さんはお互いの気高さをかけて戦わなければならない。いつか、きっと、たしかに、そうなるのだ。

狐とのこと

 狐に見初められてからというもの、つむじのあたりがなんだか変だ。いままで時計回りだったものが、反時計回りになったような、そういう感じなのだ。別に不快ではないし、生活にもなんら影響を及ぼさないのだが、大げさに言えば世界に対する感受性が違ってしまったのだ。狐は油揚げを食べるから、わたしはハンバーグが食べられない。

 彼と出会ったのは、去年の夏祭りだった。彼がたこ焼きの屋台をやっていて、そこでわたしは500円のたこ焼きを買ったのだ。狐がつくるたこ焼きにしては、なかなかいい出来栄えだった。そのことを褒めたら、なんと見初められてしまったのである。

 すぐに結婚を、ということになったが、それはいくらなんでも早すぎるから、しばらく同棲してみて、それでお互いのことを知ろうということになった。狐はきちんと働くけれど、料理だけわたしが毎日やっている(彼はたこ焼きしか作れないのだ)。わたしは狐に喜ばれたくて油揚げを使った料理ばかりを作るけど、本当はハンバーグが食べたくて仕方がない。だから今度ファミレスに行って、お互い思う存分自分の好きなものだけを食べればいいと思っている。

 しかし、狐の入っていいファミレスなんて、いったいこの世に存在するのだろうか。仮に普通のファミレスに連れていったとして、店員さんたちは驚いたりしないだろうか。少なくとも、わたしはファミレスに狐を連れてきている人を見たことがない。あるいは、そういうことのできる世界が存在するのかもしれないけど。

 つむじの曲がった影響で、わたしはなんだか臆病になったようだ。狐はわたしのフィアンセなのだから、堂々とファミレスに連れて行けばいいのである。それでもし駄目だったとしても、わたしたちにはまだたこ焼きがある。たこ焼きにデミグラスソースをかけて、わたしたちの、わたしたちだけのハンバーグを作ればいいのである。

 狐はたこ焼きの屋台をやっていた。幸運にも、わたしは彼に見初められたのである。

老婦人と靴

 ずいぶん昔の話になるが、アインシュタイン相対性理論を発見したとき、隣家の犬が吠えているのを聞いた靴屋のマゴリアムおじさんは、ちょうど眠りに落ちる寸前で起こされた。マゴリアムおじさんは根っからの職人気質だから、それが本当に関係あるかのどうかはわからないけど、とにかく頑固なのだ。起こされたところで起きるもんかと目をつむったままでいて、そうしてついに太陽が沈むのを見なかった。つぎに目を覚ましたときには辺りはもう真っ暗で、マゴリアムおじさんは変な気分になった。ほんの三十分だけ眠ったつもりが、ゆうに二時間を超えていたら誰だって変な気分になるだろう。してやられた! そう思って、庭に出てみたけれど、そこに太陽があるはずもなかった。

 そのとき、乳母車を押した老婦人が、靴屋の前を通りかかった。彼女はマゴリアムおじさんの靴屋から十軒ほど離れた服屋の主人で、マゴリアムおじさんとは旧知の仲だった。老婦人は、靴屋の店先からマゴリアムおじさんに声を掛けた。靴屋さん、いらっしゃいますか?

 マゴリアムおじさんは、店先に出て行って老婦人に挨拶をした。が、何かがいつもと違かったのだ。日の沈んだ後に会ったせいだろうか、マゴリアムおじさんにはどうしても老婦人の姿がいつもと違うように思われて仕方がなかった。それに、なんといっても変なのは乳母車だった。乳母車の中にいるはずの、マルコの坊やがそこにいない。いっったいなんだって誰も乗っていない乳母車なんかを押しているというのだろうか!

 いつのまにか街灯がともり、辺りはしずかになっていた。隣家の犬ももう吠えることはないだろう。マゴリアムおじさんは、老婦人とともに靴屋の中に入った。

 マゴリアムおじさんの靴屋は質素だが綺麗である。ランプシェードに灯をつけると、よく磨かれた床がピカピカと輝き、何もない空間だというのに温かみが出てくる。それは、マゴリアムおじさんがよく丁寧に掃除をしていることの証だった。本当は客が来ないから掃除ばかりしているだけなのだが、そういうことは気にしないで置こう。

 アインシュタイン相対性理論を発見したというのに、マゴリアムおじさんは老婦人を靴屋に招き入れ、彼女に靴を仕立ててやろうと考えていた。太陽がすっかり沈みきった、静かな夜のことである。

 隣家の犬はもう眠っただろうか? そんなことはどうでもいいことだったかもしれない。マルコの坊やはきっとまだ起きているだろう。だって、あの子は赤ん坊にしては大きすぎるのだ。老婦人の足の親指は妙に内側に反っている。マゴリアムおじさんの顔はランプシェードに照らされ、その瞳は暖炉そのものであるかのようである。太陽はすでに沈みきった。月はまだ顔を隠している。

コーヒーと隣町の病院

 空きっ腹にコーヒを流し込んで平気な顔をしていたけれど、案の定、胃が痛くなってきて、これはもう病院に行かないと駄目だと思った矢先、ここは病院の無い町なのだということを思い出した。放っておけば治るさと町の人々は言うけれど、そんなこと言われたって痛みが消えるわけでもない。ある人は、可哀想だからとリンゴを一つくれたけど、かじってみたら酸っぱくてとても食べられそうになかった。隣町に行けば病院もあるにはあるけれど、そこの医者は金持ちの医者で腕は駄目だから、当てにしてはいけない。僕はそんなことを考えながら、やはりコーヒーを飲んでいた。

 コーヒーにはカフェインが含まれておりますので、夜に飲んではいけませんといつか誰かに言われたことがあるけれど、どうしようもなく寂しい夜は誰と過ごせばいいと言うのだろう? 明け方にカラスが鳴きはじめるときに、まだ自分が起きていたとするならば、眠りにつけない自分自身を嫌悪し、冴えた頭の中で途方に暮れるだけなのだ。

 僕はコーヒーカップをテーブルの上に置き、せめてミルクを加えていたらこんなことにはならなかっただろうと思う。だって、ミルクはカップの中でコーヒーと混ざり合うのだから。お互いに二人のままではいられないのだから。

 いや、こんな比喩めいたことを持ち出さずとも、もっと端的にミルクの効用は示せたのかもしれない。しかし、そうするためには胃が健常である必要があったのだ。健常といえば、ついさっきまで僕の身体はまさしく健常だった。それがいまでは一刻も早く病院に行かなければならない身体になっている。テーブルの上のコーヒーにリンゴを浸し、一口だけかじってみる。いったい、健常者だらけの病院は存在するだろうか? 隣町の病院の金持ち息子は医者にならなければならないのだろうか?

ヨシ子ちゃんとそのお姉さん

 窓の外から声を掛けられたような気がしたので、窓を開けて外を覗いてみたらヨシ子ちゃんのお姉さんがいた。ヨシ子ちゃんとヨシ子ちゃんのお姉さんは顔がよく似ているから、最初はヨシ子ちゃんだと思ったのだけれど、よくよく見るとそれはヨシ子ちゃんじゃなくって、彼女のお姉さんだった。ヨシ子ちゃんのお姉さんは昔キャバクラで働いていたので、近所ではあまり評判が良くない。だけど、僕は好きなのだ。ヨシ子ちゃんみたいに、僕を子ども扱いするようなことはしないし、ヨシ子ちゃんの家に遊びに行った時なんかはお菓子をくれるから。それにいい匂いがするのだ。これはあんまり言ったら恥ずかしいことだけど。

 で、とにかくヨシ子ちゃんのお姉さんが窓の外にいたので、僕はとりあえず手を振った。そしたら向こうも振り返してくれて、

「ねえ、よかったらそっちに行ってもいいかしら?」

 って言うもんだから、もちろん、そんなのいいに決まってるって思うんだけど、いったい彼女はどうしてそんなこと言うのだろう? 僕の部屋は三階にあるのだから、ここに来るためにはどうしても階段を二回登らなければならない。果たして彼女にそんなことが出来るのだろうか? いや、出来るともと君たちは言うかもしれないけど、事態はそんなに単純なことではなくて、というか、単純すぎるゆえに困っているのだ。

 階段が多すぎるからたぶん来られないと思うってことをヨシ子ちゃんのお姉さんになんとか伝えようとするのだけど、そうするとますます僕らは会えそうになくなっていく。だって、それは物理的に不可能なのだ。いや、物理なんてろくに勉強したこと無いけど、なんとなくそうなのだ。階段を二回も登るなんて彼女にできるわけがないし、それをどうしてやることも出来ないのだ。全てはキャバクラに対する世間のイメージが悪い。華やかさに対する世間の恐れが悪い。

 僕とヨシ子ちゃんのお姉さんはしばらくの間、内と外でお互いを見つめ合っている。僕は彼女のいい匂いを思い出そうと努めるのだけど、そうしているうちにくしゃみがしたくなってきた。僕はヨシ子ちゃんのことを思い出す。彼女は、ヨシ子ちゃんは、下の歯が抜けたときに、それを僕の家の屋根に向かって投げた。その歯は届いたのだ。階段なんて無視して、三階すらも飛び越して。