昼下がりまで

 ついこの間、午後の紅茶を飲んでいるときに発見したのだけど、中山さんのところの家の塀はブロック塀に見えて実は発泡スチロールで出来ているのだ。ハリボテとはこういうことを言うのだろうと、妙に感心して缶を揺らしたら、もう午後の紅茶は残っていなかった。実はまだ午前中なのだけど、ミルクティーだから許してほしい。中山さんの家の塀が発泡スチロールで出来ているということは、それに隣り合っているわたしの家の塀も発泡スチロール出来ているということなのだが、それは言い方の問題だ。わたしの家の塀が発泡スチロールで出来ていると告白するのは大変だが、中山さんの家の塀がそうだと喧伝するのは簡単なのである。

 中山さんとはここに家を建てたときに一度か二度話をしただけで、あれから十五年経ってもそれ以上の会話はない。たしか中山さんには二人の娘がいて、わたしが会った時はまだ3歳とかそこらだったから、いまはもう高校生だとか大学生だとかになっていることだろう。いや、あるいはもう働いているのかもしれない。わたしの働いている会社に中山という新人社員が入ったけれど、彼女はひょっとして、中山さんの娘なのかもしれない。だとすれば、わたしは中山と家の塀の秘密を共有していることになる。

 午後の紅茶を飲んでしまったことがいけなかったのか、わたしは中山のことが気になって仕方がなくなってしまった。中山の顔を思い出そうとするが、それはいいところまではいくのだが、掴みかけたところでぼやけてしまう。中山さんの家の塀は発泡スチロールだから、中山はあんなに八方美人になってしまったのか。

 いや、そんなおやじギャグめいたことで解決するような話ではない。これは、戦争に発展しかねない話なのだから。午後の紅茶紅茶花伝のように、わたしと中山さんはお互いの気高さをかけて戦わなければならない。いつか、きっと、たしかに、そうなるのだ。