老婦人と靴

 ずいぶん昔の話になるが、アインシュタイン相対性理論を発見したとき、隣家の犬が吠えているのを聞いた靴屋のマゴリアムおじさんは、ちょうど眠りに落ちる寸前で起こされた。マゴリアムおじさんは根っからの職人気質だから、それが本当に関係あるかのどうかはわからないけど、とにかく頑固なのだ。起こされたところで起きるもんかと目をつむったままでいて、そうしてついに太陽が沈むのを見なかった。つぎに目を覚ましたときには辺りはもう真っ暗で、マゴリアムおじさんは変な気分になった。ほんの三十分だけ眠ったつもりが、ゆうに二時間を超えていたら誰だって変な気分になるだろう。してやられた! そう思って、庭に出てみたけれど、そこに太陽があるはずもなかった。

 そのとき、乳母車を押した老婦人が、靴屋の前を通りかかった。彼女はマゴリアムおじさんの靴屋から十軒ほど離れた服屋の主人で、マゴリアムおじさんとは旧知の仲だった。老婦人は、靴屋の店先からマゴリアムおじさんに声を掛けた。靴屋さん、いらっしゃいますか?

 マゴリアムおじさんは、店先に出て行って老婦人に挨拶をした。が、何かがいつもと違かったのだ。日の沈んだ後に会ったせいだろうか、マゴリアムおじさんにはどうしても老婦人の姿がいつもと違うように思われて仕方がなかった。それに、なんといっても変なのは乳母車だった。乳母車の中にいるはずの、マルコの坊やがそこにいない。いっったいなんだって誰も乗っていない乳母車なんかを押しているというのだろうか!

 いつのまにか街灯がともり、辺りはしずかになっていた。隣家の犬ももう吠えることはないだろう。マゴリアムおじさんは、老婦人とともに靴屋の中に入った。

 マゴリアムおじさんの靴屋は質素だが綺麗である。ランプシェードに灯をつけると、よく磨かれた床がピカピカと輝き、何もない空間だというのに温かみが出てくる。それは、マゴリアムおじさんがよく丁寧に掃除をしていることの証だった。本当は客が来ないから掃除ばかりしているだけなのだが、そういうことは気にしないで置こう。

 アインシュタイン相対性理論を発見したというのに、マゴリアムおじさんは老婦人を靴屋に招き入れ、彼女に靴を仕立ててやろうと考えていた。太陽がすっかり沈みきった、静かな夜のことである。

 隣家の犬はもう眠っただろうか? そんなことはどうでもいいことだったかもしれない。マルコの坊やはきっとまだ起きているだろう。だって、あの子は赤ん坊にしては大きすぎるのだ。老婦人の足の親指は妙に内側に反っている。マゴリアムおじさんの顔はランプシェードに照らされ、その瞳は暖炉そのものであるかのようである。太陽はすでに沈みきった。月はまだ顔を隠している。