散り散りになって、拾い集めるのが大変だと、コウタくんのお姉ちゃんが言うものだから、拾わずにせめて繋げましょうと提案したら、繋いだその先、ちょっとだけ震えていて、心許ないのは今に始まったことではない。誰にでもわかるように言葉を繋ぐのはそんなに難しいことではなかったけれど、言葉にならない声を繋ぐのはちょっと難しい。コウタくんのお姉ちゃんはついさっき東京にお嫁に行ってしまった。東京は眩しい街だから、きっとお姉ちゃんは目が痛くなってしまう。そんなことを心配しながら、繫ぎ目を一つ一つ確認していると、なんだか僕の目のほうが痛くなってしまって困った。明日、携帯電話を買ってもらうことになっているけれど、携帯電話がなにを繋ぐのか、僕にはわからない。もしものとき、繋がっていることの幸福がわかると、携帯電話を売っている人は言うかもしれないけれど、もしもときとは一体いつなのだろうか? もしも、ねえ、もしもし、こちらは暑さが厳しいですが僕は元気です、そちらはどうですか?

 

(2015年8月17日)