ボリボリじゅわ

 おせんべいをボリボリ食べることは、おせんべいに対して誠実な態度なので、マリーはそうすることにしているけれど、日本には濡れせんべいというものがあるらしく、それは元々ふにゃふにゃだというのだから、わけがわからなくなってしまった。是非とも一度は日本へ行って、その"濡れせんべい"なるものと出会いたいと思ってはいたけれど、マリーは日々の生活が急がしすぎて、とてもじゃないけど日本へ行く余裕なんてなかった。しかも、マリーは飛行機に乗るのが怖くて仕方なかったから、いずれにせよ日本へ行くことはできそうになかった。

 日本かぶれのマリーのことを、ジェニファーは"サムライガール"と呼ぶ。ジェニファーは日本のことなんてちっともよくわかっていなかったけれど、三年前に北野武監督の映画にハマってからというもの、妙にイカつい日本語だけを覚えて、マリーに会う度、オウムが飼い主の話した言葉を真似るように「じゃかわしいんじゃボケ」と挨拶するのだった。しかも、言い方がちゃんとドスのきいた感じになっているのだから可笑しい。マリーは心の中でジェニファーのことを”ニシダ"と呼んでいた。

「じゃかわしんじゃーボケー」

「ハルハアケボノ、コニシキサイキョー」

「What's mean?」

「Sumo is very fun」

「hahhhhhhhhhhh」「hahhhhhhhhhhh」二人は意味もなく笑うのが好きだった。そして、二人はマリーの部屋で、せんべいを食べながらお昼のドラマを見るのが好きだった。お昼のドラマはもちろん水戸黄門。ワンパターンで、しかし飽きのこない演出が、彼女たちを楽しませた。

 二人は水戸黄門を見ながら、同じようにせんべいを食べていたが、マリーに言わせればジェニファーのせんべいの食べ方はあまり上手ではなかった。ボリボリという愉快な音が足りないのだ。せんべいは食べている時の音を楽しむためにあるのだと思っているマリーはジェニファーにそれを何度も指南しているのだけれど、ジェニファーはマリーよりも歳が三つも下なので、マリーの言っていることがよくわからなかったらしかった。

「ねえ、ジェニファー、せんべいの食べ方には流儀があるのよ」その日も、マリーは懲りずにジェニファーに言ったのだった。

「ああ、なんか音とかってやつ? いつもあんたが言ってる」

「うん」

「でもねサムライガール、あなたはせんべいの世界をまだ半分も知っていないかもしれないわね」

「どういう意味よ?」

「とりあえず、あたしの食べ方を真似てみてよ」そう言ってジェニファーは丸いせんべいを口に入る大きさに割って、欠片を口に放り込んだ。「こうやってね、噛まずにせんべいを口の中でしばらく放置してやるの」

 マリーは訝しく思いつつも、ジェニファーがやったように自分もせんべいの欠片を口に放り込んで、しばらく噛まずに放置してみた。口の中でせんべいがふやけ、だんだん柔らかくなってゆく。

「でね、しっかりやわらかくなったところで噛むの、すると、うん、美味しいの」

 せんべいの醤油が舌の上に染み出す。マリーは耐えられなくなって、とうとうふやけたせんべいを噛んでしまった。すると、じゅわっと深い醤油の味と香りが口いっぱいに広がり、マリーは思わず声を上げてしまった。

「Oh!!!!! Amazing!!!!!」

「hahhhhhhhhhhhhhhh」「hahhhhhhhhhhh」二人は残ったせんべいの欠片を宙に上げて笑い続けた。

 

(2015年5月18日)