クンちゃん
クンちゃんがテレビで相撲を見ていて、僕はそのすぐ隣でカステラを食べていた。カステラはクンちゃんのお母さんが長崎に旅行に行った時にお土産として買ってきてくれたもので、お茶菓子にということで部屋に持ってきてくれたのだった。僕は相撲を見ても面白いとは思えなかったから、カステラをただ無心に食べ続けていた。カステラは甘く、頬張ると舌の上で底のザラメが上品に溶け出した。クンちゃんはカステラも食べずにテレビの画面と向き合っていた。
「ねえ、それっていつ終わるの?」
「え、6時」クンちゃんはテレビから目を離さずに言葉だけを返した。
「マリオやろうよ」
「ん……、無理」
クンちゃんは何故か昔から相撲を見るのが好きだった。女の子にしては珍しいと思う。僕は相撲を見るなんてちょっとジジ臭いと思うのだけれど、もちろんそんなことはクンちゃんには言わない。だって、僕はクンちゃんのことが好きなのだから。
僕はクンちゃんに倣って相撲を一緒に観てみたことがあるのだけれど、お相撲さんが土俵に入ったっきり、いつまでたっても取組がはじまらないのに苛立って、たいして観ないうちに飽きてしまった。僕は面白くなくってクンちゃんの足にデコピンをしてみたけれど、その時もクンちゃんは画面と向き合ったまま目を離すことは無かった。
「ねえ、相撲の何がそんなに面白いのさ」
18時になり、テレビの相撲中継が終わると、僕はしれっとカステラを食べはじめたクンちゃんに向かってそう言った。カラスの鳴き声が遠くの方から響いてきていた。
「うーんとね、行司」クンちゃんはカステラを頬張りながらもそもそと言った。
「え?」
「あ、え、だから行司」
「ギョウジって、あの行司?」
「うん、そ、あの行司」
僕は混乱して言葉が返せなくなった。クンちゃんは急に照れ出したのか下を向いて顔をほんのり赤らめた。唇の端っこにくっついていたカステラの滓がぽろっと床にこぼれ落ちた。
「だってさ、何かすごいじゃない、行司って」
「どこが?」
「声もそうだし……とにかく全部」
そう言われるまで行司なんてとくに気に留めた事もなかった。相撲を観るっていうのは力士同士の取組そのものを楽しむものだと思ってたし、クンちゃんもつまりはそういうことなのだと思っていた。でも、クンちゃんは本当は行司をじっと観ていたのだ。行司が面白いと思って相撲を観ていたのだ。
僕はますますクンちゃんのことが好きになったような気がした。そして、そういうことなら僕も少しは相撲を楽しく観ることができるような気がした。クンちゃんには言わなかったけれど、今度はもうちょっと注意して相撲を観てみようと思った。クンちゃんの観ている世界を同じ地平で観てみようと思った。
土曜日、僕はまたクンちゃんの部屋に居た。15時になるとクンちゃんはおもむろにテレビをつけて相撲中継を待った。僕もクンちゃんのすぐ隣に座って中継を待った。テーブルには今日もお土産のカステラが置いてあった。
そして、テレビから寄せ太鼓の音が鳴って、相撲中継が始まった。僕は画面に注意しながらも、隣からそっとクンちゃんの顔を覗き観てみた。灯りのついていない薄暗い部屋の中で観るクンちゃんの横顔は凛々しくて美しかった。さあ、最初の取組がもうすぐ始まる。僕はテレビの画面に目を戻して、行司の第一声を待った。
(2015年5月14日)