雨粒のラタナ

 歩いているうちに雨はやんでしまったみたいだったが、ビニール傘を差し続けたまま歩いていると、急に強風が吹いてきて、傘が裏返ってしまった。アルミの骨がぐにゃっと折れ曲がって、傘をうまく閉じられない。仕方が無いから、差したまんま次第に晴れてくる空の下を歩いた。傘のことに気を取られていたら、大きな水溜りに足を突っ込んでしまって、靴が水没してしまった。靴下にじわっと雨水が浸みて、足を踏み締める度に気持ち悪い感触が足の裏に張り付く。傘の上の雨粒がぼたぼたと滴り、僕のジーンズをひっそり濡らしていた。

 そうしてしばらく歩き続けていると、修学旅行中の高校生の列に出くわして、傘のことをくすくす笑われた。彼らの中には傘を差している者もあったが、その子の差している傘は和傘のように骨が何本も通っているやつで、かなり頑丈そうだった。僕の200円のビニール傘とはわけが違う。僕は少しだけ悲しくなって前をしっかり見れなくなった。俯くと僕の靴の先っぽにアマガエルが乗っかっていて、まん丸い瞳で僕を見張っていた。

 そのアマガエルは妙に肌の色がはっきりしていた。引きはがそうと立ち止まって、靴の先に手を伸ばしからためらった。アマガエルの瞳が、僕が去年の夏にインドネシアのとある港町で出会った女の子の瞳に似ていたのである。小さい商店で煙草を売っていたラタナ。もしかすると、このアマガエルはラタナなのではないかと思いはじめると、ますますアマガエルはラタナにしか見えなくなった。あまりにもびっくりして、僕は傘を手から離して地面に落っことしてしまった。

 僕はそっと右手を伸ばして、アマガエルをそっと掴むと、左手の掌の上に乗せた。アマガエルは肌が柔らかくブヨブヨしていて、掌に乗せると微かに震えた。ぱちくり目を二回ほど瞬いて、首を傾げる。この仕草もラタナにそっくりだった。ラタナは英語がたいして話せなかったから、僕が話しかけると、こうやって曖昧な表情を浮かべたのだった。

ーーねえ、バスってあとどれくらいで出るか知ってる?

 僕は煙草を買うついでに商店の女の子に話しかけたのだった。女の子は怯えるように僕を見つめ、地元の言葉で何か言った。僕は彼女が何と言ったのかはわからなかった。しかし、なんとか懸命に答えようとする彼女の姿はとてもいじらく思えた。

ーー君、名前はなんて言うの? 僕はコウジ、日本から来た

 僕がそう言うと、彼女はハニカミながらラタナと言った。ラタナという言葉には「宝石」という意味があるらしい。これは日本に帰ってきてから知ったことだ。

——歳はいくつ?

——14。でも、もうすぐ15になる。

 そっか、若いのに大変だねと言うと、ラタナは困ったような顔をした。よく意味がわからなかったらしい。僕はもう一箱煙草を買うと、ラタナに別れを告げて、店を出た。それから、僕は別の街を巡って、そこでも地元の女の子と出会い、その女の子とは一夜をともにした。その女の子の名前はすぐに忘れてしまった。

 掌の上のラタナは瞬きながらじっと僕を見つめていた。僕はラタナと唇を重ねたくなって、顔を近づけるとそっと唇がラタナの背中に触れた。ラタナは柔らかく、冷たかった。唇をゆっくりはなした時、ちょうど雲間から光が射して、いつのまにかラタナは石になっていた。一人になった僕はラタナを晴れてきた空にかざしてみた。爽やかな風が吹いて、僕の頬を撫でさすっていった。

 

(2015年4月17日)