洗濯日和

 ユキちゃんが洗濯物を干すと必ず僕はその姿を眺めるようにしていた。例えば昨日みたいにとても天気がいい日には、ユキちゃんはベランダに出て僕のシャツを干してくれる。白いシャツはお日様に晒され、風に吹かれてひらりと揺れ、ときどきユキちゃんの顔にやわらかく触れてキスをする。僕はユキちゃんの後ろ姿をみるのが好きだった。できることなら、ユキちゃんの後ろ姿を眺めながら、朝っぱらからビールを飲んでみたいと思っていた。ユキちゃんにそのことを話してみると、ユキちゃんは少し恥ずかしそうだった。ユキちゃんは洗濯物を干すのがとても上手で、畳むのが少し苦手だった。

 洗濯物を畳むのは僕の仕事だった。僕はそこまできっちりとした性格ではなかったけれど、二年前まで有楽町のルミネに入っているアパレルショップでアルバイトをしていたこともあって、比較的早く綺麗に畳むことができた。僕が服を畳んでいると、ユキちゃんはマグカップを持って僕の横に座るのだった。折り紙職人みたいと言って、笑ってみせたこともあった。ユキちゃんはどこかヘンテコなところがある。

 今日はユキちゃんが洗濯物を干し終わると、僕は多和田葉子の『雪の練習生』の続きを読みはじめ、ユキちゃんはDVDでアメリカンホームコメディ『フルハウス』を観はじめた。トスカが芸を披露する度にテレビから笑い声が聞こえてくる。穏やかな朝陽が洗濯物越しに部屋に差し込み、束の間の陽だまりを作っていた。ときおりユキちゃんはジョーイおじさんのマネをして、僕を笑わせてくるのだった。

 昼食はカレーを作って食べた。辛口のジャワカレー。僕もユキちゃんも、こういう天気のいい日にはカレーを食べることにしていた。カレーを食べた後に飲んだレモンティーがやけに爽やかで、何が可笑しいというわけでもないのに僕らは顔を見合わせて笑った。カレーはユキちゃんが作ったので、お皿は僕が洗った。お皿洗いは僕の仕事だった。

 お皿が洗い終わると、僕はパソコンで書きかけの小説の続きを書きはじめた。きりのいいところまで書けると、僕は書き終わったところまでをユキちゃんに朗読した。フランツ・カフカもその日書けた分までを姉だか妹だかに話して聞かせていたというのを、どこかで読んだことがあったので僕も実践しているのだ。自分の書いたものを身近な人に話して聞かせるというのは少し恥ずかしくもあるけれど、僕は聞き手としてのユキちゃんを信頼していた。ユキちゃんはあまり小説は読まないけれど、どんな些細なことでも感想として言ってくれるからいいのだ。僕はそもそもユキちゃんのために書いているのではないかと思うときがある。ルイス・キャロルだって、自分の娘のために『不思議の国のアリス』を書いたんだ。目的はなんでもいい。とにかく僕が書くことを嫌にならずにこうしてちゃんと書けているのならば、書くことの目的も書いたものの意味も本当にどうでもいいことなんだ。

 ユキちゃんは静かに耳を澄まして僕の話を聞いてくれる。僕は朗読が得意ではなくて、所々つっかえてしまうのだけど、ユキちゃんはそれがいいのだと言う。そういえば、ユキちゃんはアスファルトの上を歩くよりも、舗装されていない砂利道を歩くほうが好きだと言っていた。わからないけれど、もしかしたらそういったことと僕の朗読のよさは関係があるのかもしれない。とはいえ、前に一度、ユキちゃんに僕の書いたものを朗読してもらったことがあるけれど、その時ユキちゃんは川が流れるようにすらすら読んで、それは音楽のようでとても心地よかったから、僕の吃りは結局ただの愛嬌みたいなものなのだろう。いずれにしても、僕の朗読は全く上達しなかったし、僕がつっかえる度にユキちゃんは微笑んだ。

 朗読が終わると、ユキちゃんが僕に感想を言って、僕はそれを原稿の端っこにメモし、それから二人で洗濯物を取り込んだ。洗濯物からはほんのりお日様の匂いがした。お日様の光をいっぱいに吸った、洗濯日和の匂いがした。

 

(2015年4月11日)