ユンタくん

 ユンタくんのお母さんは三年前まで豚だったのだけれど、真珠に魅せられてミランダカーもびっくりの金髪美女に生まれ変わったのだった。そしたら、ユンタくんはとっても大変で、だって、お母さんのサイン会が新宿のタワーレコードで開催されるようになってしまったから。ユンタくんはお母さんのマネージャーさんになって、スケジュールの管理をしなくてはならなかった。毎週の火曜日にお母さんは空手のレッスンを受けに五反田まで行くことになっていて、それは豚だった時からの習慣だからこれだけはどうしても譲れなくて、火曜日に仕事が入らないようにすることが、さしあたりユンタくんの最も重要な任務だった。

 例えば、エイベックスが今度こそお母さんを歌手デビューさせようとして、火曜日に打ち合わせをしようと提案してくるわけだけれど、火曜日はお母さんは風邪を引くことになっているのでダメなんです、二ヶ月後の水曜日にしてくださいと、華麗に断ってみせる。これがユンタくんの会話術。クリス・ペプラーさながらの美声。

 ロシア人の雑誌編集長なんかは、一日くらい空手のレッスンを休んだところで問題ないでしょうと、頭のてっぺんをボリボリ掻きながら言ったりする。だけど、それは実に人間らしい意見で、というか、実に人間の身勝手な意見で、豚だったお母さんにしてみればそういう理屈は通らない。いまは金髪の美女だけれど、いつだってユンタくんのお母さんは豚の心を忘れない。明日は息子の結婚式なので、どうぞ明日だけは止めてくださいと言ったって、出荷の日がズレることがなっかたことをいつまでたっても覚えている。

 ユンタくんの働きのおかげで、彼のお母さんは全く支障がなく空手のレッスンに通うことができたし、このまま順調にいけば初段を取得して黒帯を付けることが許されるかもしれなかった。ユンタくんはそのことをお母さんから聞くと、顔が綻んでしまって、顔の締まりがなくなってしまって大変だった。頭の中で、お母さんが艶のある黒帯を締めているところを想像しては、やっぱりミランダカーには黒が似合うもんなと納得したりしたのだった。

 けれど一つだけ大きな問題が横たわっていた。次の昇級試験の日は火曜日ではなく土曜日だったのだ。土曜日は汐留でTVの収録が既に入ってしまっていて、どうすることもできなかった。ユンタくんはそのことを恐る恐るお母さんに伝えてみた。案の定、お母さんは泣き出してしまった。

「だって、この試験が合格したら黒帯にになれるのよ。恨むわ、わたし、恨んで溶けてしまうわ」

「でも、こればっかりはどうしようもないんだ。仕事を断ろうたって、もう母さんは32回も風邪を引いたことになってるし」

「でも、だって、それでも、もう」お母さんは泣きながらブーブー鳴いていた。

「また、次の試験が来月にあるから、そのときに取ろうよ、黒帯。次は予め試験の日にちを調べといて、その日はお仕事入れないようにするから」

 結局、次の土曜日、ユンタくんのお母さんは汐留にいた。赤羽の試験会場にはいなかった。TVの収録中、お母さんは泣きたい気持ちを堪えて、気丈に振る舞った。彼女の笑顔はミランダカーそのものだった。

 司会者の愛川欽也がユンタくんのお母さんに話を振った。

「ご出身が沖縄だそうで。ええ、沖縄の食べ物だと何が好きでいらっしゃいますか」

「ソーキそばのソーキ抜きです。ふふっ」

 会場は爆笑に包まれた。ビビル大木が手を叩いて笑っていた。

「それでは、みんなで今日は、ソーキそばのソーキ抜きを食べてみましょうか」愛川欽也がそう言うと、舞台袖から、ソーキそばのソーキ抜きが運ばれてきた。運んできたのは沖縄のゆるキャラ"ぎ〜のくん"だった。

 ソーキそばのソーキ抜きを食べはじめると、ビビる大木が、やっぱり僕はソーキがあったほうがいいな〜と言った。ユンタくんのお母さんは暫くじっと考えて、やがて決心すると、ソーキそばのソーキ抜きのドンブリの中に飛び込んだ。熱い汁が飛び跳ねて、紅ショウガが踊り、お母さんはソーキになった。とっても美味しそうなソーキになった。

 ユンタくんはお母さんがソーキになってしまったのを見届けると、やがて決心して赤羽の試験会場に向かった。お母さんの敵をとりにいくのだ。ユンタくんの心に迷いはなかった。ソーキそばのいい香りが鼻をかすめて通り過ぎていった。

 

(2015年4月4日)