多摩川の精霊

 お風呂に入ってぼうっとしていたら、河童が現れてしたくもないのに混浴するはめになった。彼は――性別はわからないけれど、なんとなく男?雄?っぽいので三人称代名詞は彼と呼ぶことにする、頭の上にお皿を乗っけていて、誰がどうみても河童なのに、自分は多摩川の精霊だと言って譲らなかった。好きな食べ物を聞くと、くちばしをパクパクさせて間髪入れずにキュウリと言うし、背中にやけに大きい甲羅を背負っている。お皿は甲羅もきっちり磨かれていて、かつて妖怪図鑑で見た河童の姿よりも幾分清潔感があるように思えた。

「お背中お流し致しましょうか」河童はいやに丁寧にわたしに言った。彼の日本語は上手だったが、母音"a"の発音が鼻にかかって少しだけ間抜けに聞こえた。

「え、わたし、背中流されたことってないから、本当にやってくれるなら、是非お願いしたいのだけど」

「それはよかった。実は私めはお背中をお流しするのが大の得意なのでございます」

 河童は意外と良い奴なのかもしれない、わたしは彼に背中を差し出しながらそう思った。

「じゃあ、あとでキュウリあげるね」

 河童はわたしの後ろで微笑んだ(と思う)。

「あと、ビールもつけてあげるね。二人で飲もうね。サッポロの黒ラベル

 わたしは上機嫌になっていた。確かに河童の背中流しは手際がよい。"河童の背中流し"は"河童の川流れ"と同じくらい語感がいいし。わたしが痒いなと思ったところは、何故か察して掻いてくれる。孫の手よりも河童の手。水掻きの部分の感触がなんだか新鮮で気持ちがいい。

「ねえ、多摩川からここまでどうやって来たの?」

「恥ずかしながら、キックボードでぴゅーんと、でございます」

「へえ、ここからどのくらいのところから来たの?」

「そうですね、片道15分といったところでしょうか。ここらへんは信号機が多いもので」

 「精霊さんは普段なにしてるの?」わざとというわけではないが、わたしは質問ばかりを投げかけてしまう。

「精霊らしく、菜の花を育てています、でございます」

「菜の花?」

「はい、黄色い花を咲かせる菜の花です」

「ああ、河川敷の菜の花、あなたが育てているの?」

「ええ、それが川の精霊たちの仕事です……あの、私めはそろそろ上気せそうなので、出ようと思うのですが」

「あ、わたしも出る」

 背中をすっかり流して、わたしたちは風呂を出た。久しぶりに長い時間お風呂に入ったので、喉がビールを欲しがって悲鳴をあげていた。

 河童と一緒にベランダに出て、キュウリをまるまる一本齧りながら、缶ビールを呷った。河童の飲みっぷりは豪快だった。しかし、彼はすぐに酔っぱらって、顔がわかりやすく真っ赤になった。

「今度は多摩川の菜の花を見ながらビールが飲みたいね」わたしは言った。

「そうですね。またキュウリをつまみにして」

「菜の花のおひたしも作るね」

「おお、そしたら、私めは、三味線を演奏しましょうか、自分で言うのもなんですが、こうみえて、そこそこ弾けるんです」

「へえ、わたしは歌うたっちゃうよ、下手くそだけど」

 わたしも河童もすっかり上機嫌だった。月の柔らかな光がわたしたちを照らし、多摩川の菜の花は同じ月の下でひっそり風にゆられていた。

 

(2015年4月27日)