くらげ坊主

 水をたっぷり染み込ませたスポンジが地面に落ちる。

――わっ。

 茶色い飛沫を浴びて、ヨウスケは顔をしかめた。タクヤも飛沫を浴びたが、彼は何事もなかったかのようにスポンジを拾って、バケツの上でぎゅっと絞った。茶色い汁がスポンジから吹き出し、バケツに中に溜まってゆく。

「なあよお、これじゃあ、夕方もグラウンド使えそうにないよなあ」ヨウスケはスクールジャージの袖で額の汗を拭いながらそう言った。ヨウスケの丸い坊主頭がタクヤの目に写る。

「……うん、でも、まあ、午後はすっかり晴れるって言ってたし、ここ、水捌けいいから、どうだろ」

「スパイクぐちょぐちょになるの嫌だなあ、しかし」

 ヨウスケの言葉を半分無視して、タクヤはバケツに溜まった泥水を屋外水道の排水口に流しにいった。バケツに溜まった水が思ったよりも重くてタクヤは途中よろけて倒れそうになった。

 バケツの水を排水口に流すと、排水溝は獣の鳴き声のような低い声を出す。タクヤはその声を聞くのが好きだった。だから、彼は皆が嫌がって敬遠するバケツの水捨てを率先してやりたがった。排水口の声は、ときには雨粒の悲鳴のようにも聞こえ、またあるときには雨水の笑い声にも聞こえ、一度たりとも同じ音を響かせたことはなかった。

 すっかり泥水を流しきると、タクヤは空っぽになったバケツを持って、またヨウスケのところに戻った。ヨウスケは水溜りの中に突っ込んだスポンジの太った腹を突っついて、一人でにやにや笑っていた。

「なあ、あれ見ろよ」ヨウスケはふと顔をあげて、ライト側の外野を指差した。「ほら、あのブヨブヨのやつ。あれあると滑るから守りにくいんだよなあ」

 ヨウスケガ言っているのはイシクラゲのことだった。ライト側は陽当たりが悪く、雨が降ると決まって影のところにイシクラゲの群体が発生するのだ。

「つーか、あれ何?」

「え、キクラゲじゃないの?」

 ヨウスケが真顔でそう言ったので、タクヤは笑ってしまった。

「じゃあ食べてみなよ」

「やだよ、ビョーキになんだろ、あんなもん。あ、でも、もしかして給食の中華スープって、あのキクラゲ使ってんじゃね?」

「いや、キクラゲってもっと黒いっしょ。あれ、ちょっと緑っぽいじゃん」

「わかってねーな、茹でたら黒くなるんだろうが」

 ヨウスケがいつまでたっても水溜りに突っ込んだスポンジを絞ろうとしないので、タクヤは強引にスポンジを奪った。

「おいおい、お前らちゃんとやってんのかよ」

 キクチ先輩がやってきて、二人に声をかけた。二人は、ちわーっすと返事をして、急に忙しなく手を動かしはじめた。

「先輩、あのキクラゲって食えるんですかね」ヨウスケは間の抜けた声でそう言った。

「は? おまえ食ってみる?」

「いやいや冗談きついっすよ。でも、給食の中華スープに入ってるのって、あれなんじゃないっすかね」ヨウスケはタクヤをちらっと見て笑った。

「あー、そういえば今日の給食、中華スープ出るよな」キクチ先輩は真顔でそう言った。

――わっ。

 ヨウスケが手に持っていたスポンジをまた地面に落としたので、飛沫が三人の足にかかった。ざけんなよと言って、キクチ先輩がヨウスケを軽くどつきはじめたので、タクヤはバケツを持ってそそくさとその場所を離れた。確かにバケツには泥水がたっぷり溜まっていた。

 タクヤはまたバケツに溜まった泥水を排水口に流した。じゃーっと勢いよく流したが、泥水は排水口にうまく吸い込まれず、流し台の上に滞留した。何かが排水口につまってしまっているらしい。面倒だったが、タクヤは一思いに水の中に手を突っ込んで、排水口をつまらせている、妙にぬるっとしたものを取り出した。見ると、それはキクラゲだった。イシクラゲではない。確かに黒いキクラゲだった。タクヤはそれを水道水で洗うと、口に含んだ。ほどよい歯ごたえがあって、舌の上でぷるんと踊った。

 

(2015年4月26日)